【ルパン三世 カリオストロの城】あれから4年、クラリスとルパンのその後について宮崎駿が語る

あれから4年(宮崎駿)

これはカリオストロの城の公開から4年経って、宮崎駿監督に対して行われたインタビューのなかでクラリスのその後について語られた文章の抜粋です。

クラリスの強さ

カリオストロ伯爵からルパンを身を呈して守るクラリスの強さ。あれはクラリスだけが持っているものじゃないと僕は思っています。人間誰でもある状況の中では強くなるんです。例えば自分の子供の命が危ないっていう時、母親はどれほどのことをし始めるのかって言うと、男なんて比べ物にならない力を発揮する。この間電車のレールに足を挟まれて引かれてしまった子供がいたでしょう(昭和58年3月9日朝日新聞)その時周囲にいたら誰でもみんな必死に助けようとしたはずですし、死にものぐるいになるはずですよ。そういう時人間っていうのはどうせダメだって、ただ佇んでいるはずないんですよ。今はもやもやした日常生活が延々と続くとみんな思っているから、そんな強さは自分にはないと信じ込んでいるだけど、実は人の為に生きたいとかっていう気持ちは誰もが持ち合わせているんですよね。そして、状況さえあればその強さが発揮されてくるもんなんですだと僕は思っています。だから自分のために命を投げ出してくれる好ましい男、ルパンが危険にさらされた時にクラリスは湖に飛び込んで、死んじゃってもルパンを救おうとするんですよ。そういう衝動を人間は持っているんです。

ルパンについていかなかったクラリス

クラリスがラストでルパンを追いかける追いかけないについてですか。うーん…私なら追いかけて行っちゃうって人もいるでしょう。あらゆることを放り出して追いかけちゃう、安珍清姫の清姫になってしまう人もいるでしょう。映画を見た大体の人が納得するのは、別れのシーンでは私も行くってしがみついて窓枠にしがみついてでもズルズル引きずられてでも(笑)くっついていくクラリスなんでしょうかね。そして実際にそういうことをする人は現実にもいっぱいいる。少女漫画の世界でもそういうタイプの人がたくさん描かれている。それはそれでいいと思います。
 でも出会いと別れは同時にあるものなんですよね。そして、うまい別れ方ができるのなら別れは素晴らしいものなんです。それはルパンと別れた後のクラリスの生き方に任されてくるんでしょうが。ところが人はみんな別れを嫌がっている。何故かな別れることを否定したら会うことも否定することになるのにね。このことは生きることを大事にしていかなくては、その結果しそのものから目をそらしてしまうという現代の風潮にも通じるんじゃないかっていう気もしますね。
 相手の迷惑も考えないでくっついていっちゃうっていうのは、自分の感情を噴出させているかもしれないけれど、放出させないでいるだけで、ある意味とてもエゴイスティックな行為ですよね。今の世の中ではそういうことが自己に忠実に生きている、という風に解釈していいことのように思われている。でもそれは本当に自己に忠実に生きているということなのかどうか。自分のある側面がそのときたかっただけなんじゃないのかなだから、すぐ相手に対する気持ちも冷めたりする。そんなわけで僕は、 クラリス がルパンについていかなかった方が良かったんだと思っています。自分の気持ちを抑えてでもついて行くのをやめようと思う人間がいてもいいでしょう。

その後のクラリス

カリオストロ公国の娘なんですから、普通の女の子よりも政治、国家財政などいろいろ問題を抱えているはずです。それでもその中でくじけずにやっていくんじゃないかなっていう気はしています。というより、やっていけるかどうか知らないけど、行って欲しいと言うかで。カリオストロ公国を維持していくためだったら、原爆で他国を脅すよりずっとマシだから偽札を作っていても構わないし、ローマの遺跡を外貨を得る観光資源にしてもいい。 クラリス ならそういうことを辛くても耐えられそうだし、そんなことでくじけてしまう人間だったら、しょうがないんじゃないかな。恋もするでしょうね。非常に能力があって尊敬もできる、自分と対等の人間と付き合おうとするはずですよ。ルパンとは対等の関係じゃなかったものね。でもその一方でルパンの事は忘れられやしないだろうとも思いますね。会いたいなと、感じているだろうしね。そしてどこかしらで二人は会うんじゃないかなっていう気もする。会った時にはクラリスは、ルパンに対してベタベタした関係を持とうとはしてない。ルパンという男の限界もよくわきまえた人間に成長しているんじゃないかな。またそれを僕は望みますね。
 こういうクラリス嬢は実はそのモチーフの一つに、モーリスルブランのルパンシリーズ「緑の目の令嬢」に登場するオーリーという絶世の美少女がいるんです。その娘はルパンと恋仲になるだけでも、芸術家として自立していて、ルパンにくっついて行こうとは全然思っていない。自分は芸術家として生きるんだと思っている。要するに対等に付き合うっていう関係で終わっているわけです。ルパンにとってと言うより、男性にとってこういう女性は楽ですよね。

ヒロイン像の変化

今はもう1回ラナやクラリスのようなヒロインでアニメーションを作りたいとは思いませんね。僕自身が クラリス やラナのような一途な思いや強さは先ほども言った通り 持っていると思うようになった。みんなそれを隠していたり、出さなかったり出したくてもどういう風に出していいのかわからないまま持っていて、それを冷笑したり否定したりして生きている。けれどもとにかく、皆その想いを持っているこのことを僕自身がものすごくよくわかった。僕はやっぱり映画の中だけではせめて現実とは違う、こうなれたらいいみたいなヒロインを描ければと思っている。その意味で今ラナだクラリスだって作ったら作品を作るとではなくただ商品化するということにしかならないでしょうね。
あとなぜ女の子と男の子ができたら恋をしなきゃいけないのかって思うようになりましたね。もう少し違う関係二人とも生きている関係って言うかそれが出来ないのかなあと考えているわけです。それが描けたら本当の恋も表現できるかもしれないんですよ。